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                                                 御所沼エッセー(3)

まくらがの草花  中村 良夫

 

 

 終戦まぢかの暑い日でした。古河男子国民学校の遠足で、御所沼あたりをおとずれたことがありました。

 沼につきでた赤松の多い疎林にふみこむと、木もれ日の林床に生え上がったすすきやワレモコウにまじって可憐な花々が見え隠れしていました、河原なでしこ、おみなえし、ききょう、アザミ、ふじばかま、・・・・・、どれもみな言葉すくなく静かなたたずまいです。

 

 お盆になると毎年、このあたりでみつけた秋の七草を縁側にそなえて、お寺の森かげからゆらゆらたちのぼる名月を迎えるのはたのしい想い出です。貧しいながら澄んだ山河に囲まれていたそのころをおもいだすと、心ない身にも不思議な律動が湧いてきます。

 

   名月や猫の背もあり縁の先

 

 植物学の大家として知れた昭和の天皇は、皇居を散歩しながら雑草などという草はない、と側近をたしなめたそうだが、まったくごもっともで、わたしのような植物音痴は赤面するしかありません。植物学のことはともかく、昔から草木というわれらのとりまきは、食用、薬用などはもとより、人事の機微をたくす大事な言葉でさえありました。

   

   五月待つ花橘の 香をかげば

        昔の人の袖の香ぞする

 

 ほのかな香にさそわれて恋人と送った過ぎし日を追慕する・・・、人事のふくざつないきさつや心理などを、こまかく描きだせばきりがありません。どんなに書いても書ききれないものをしつこく描くのは野暮というものでしょう。人の世界はそのかげろうのような様相が木の間がくれにほのみえるとき、せつせつと胸にせまるのです。これが我が国の人生の作法でありました。香りの記憶といえば、失われた時を求めて心の迷路をさまよったあのプルーストの大著のように、言葉がぎっしり詰まった重い紙束を手にしただけで、情けない事に私のような門外漢はたちまち怖気がたって詠み人しらずの31文字へ逃げ込みたくなってしまいます。

 

 ところで、この公園でせっかく丹念に育てあげたまくらがの草花をこっそり刈り取って家に持ち去るひとが跡をたたないそうだ。むかしから花泥棒は責めないのがこの国の美風であったことを忘れてはいないし、また、禁止条項の氾濫もうんざりだが川田いつ子さんはじめもりもりクラブの苦労をおもえば、気持ちがゆれる。もうしばらくまって欲しい。やがて、御所沼をかこむ野辺が秋草でおおわれるとき、誰でも欲しい人は刈り取ってお月見を楽しめば良い。それが昔の村の理想だとおもう。花泥棒さん、それまで待ってください。そして、できることなら、あなたたちも、いっそうのこと、もりもりクラブにはいって皆でいっしょにまくらがの草花をふやそうではありませんか。

 

 日本の伝統のありかは工芸や建築、あるいは文学、絵画だけではない。そのむかし、道元禅師がいみじくも言ったように、目の前の山川草木はこれみな仏の姿なのだ。自然という水臭い呼び名は明治以前にはなかった。それは、人生の舞台でありました。

 いまや沼のほとりの御所も寺も遠の昔に失せてしまいましたが、まくらがの草花の咲く沼影で、公方やお姫様が夢幻能のように立ちあらわれ、くせ舞をまうのです。

 

 

 

 

 

    

                                                               (2014年9月30日)

                                                                  東京工業大学名誉教授

 

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