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                                                 御所沼エッセー(2)

野中健司さんの写真  中村 良夫

 

 

        さて、「古河総合公園」はなぜ「御所沼コモンズ」でなければならないか。それについて書くことを初回で約束しながら、いくらか逡巡しているにはわけがあります。

 

 コモンズは入り会い地ですから、どうしても市民の参加に話しがおよびます。いきおい、行政と市民の行き違いやせめぎ合いにまきこまれて話しがややこしくなり、血圧計の針はあがりぎみになります。

 たのしい公園談義が野暮な話しに終わるのは馬鹿馬鹿しいかぎりです。いっそこの御所沼エッセイは、風のふくまま気のむくままに漂流しましょう。その果てに、何とかコモンズへたどり着けば万歳ですが、そのまま風の渦にまかれて行き暮れないともかぎりません。約束はできかねますが、それはそれで結構、風来坊の妄言をたのしんでください。

 

 私が数年前、古河総合公園、いや御所沼コモンズのいきさつを「湿地転生の記」(岩波書店)にまとめたときのことです。ああでもないこうでもないの果てに、何とか筋道をつけた編集者の眉間の皺がやっと晴れました。

 —「ところで、先生、表紙はどうしましょう?」

 文章のやりくりで頭がいっぱいで、とても表紙まで知恵がまわらなかった私の頭に、パっと浮かんだのが野中さんの写真でした。あのころ野中さんはピンホールカメラにこっていました。あの光と影の朧げな交錯、そのうえに野中さん作のオニヤンマのエッチングを重ねたら‥‥‥そんな考えがひらめきました。

 そのときいらい、私のパソコンに四季のおりにつれて味わい深い映像が飛び込んできました。

 たとえば、「橋のたもとで四つ葉のクロバーを探す老夫婦」。あるいはまた、ひぐらしの声が聞こえてきそうな夕暮れの中で、秋草の群れが風に揺れている景色。先日、上梓した本の裏表紙につかわせていただいた珠玉のショットは、「コブシ野の昼下がり」。芝生で安らぐ若い夫婦が、ちょこちょこはしゃぎ回る乳飲み兒の様子をずーと目で追っている構図は、そのまま家族の物語です。家族の人間模様は、家や庭のたたずまい、あるいは町の風景といった舞台のなかにおかれたときはじめて光彩を放つのです。

 

 ひきつづいて「霧の中の公園」シリーズは、まるで長谷川等伯の松林図六曲一双を広げた名作です。おなじ場所が季節や天気でこうも様相をかえるとは・・・。風景とはモノの形というより、場の気配だと悟りました。

 こういう名作を眺めていると、専門家の公園デザインなどは、いわば連句の発句に過ぎないのではないか、と思われてきます。つまり、デザインされた公園のなかを、春夏秋冬、人生のあらゆる喜怒哀楽とともに演技し、出会い、眺めまわす市民達が発見する風景の素顔。四季の移ろいの中で彼らの自由なパフォマンスが産み出し、散歩者の瞳に映ずる風景の、限りない積み重ねもまた、公園の創造プロセスのなかにくみこまれている。これが風景の実相ではないでしょうか。

 この筋書きのない無署名の物語には終りが無く、結論もなく、デザイナーと利用者の境もありません。

 

 そういえば、25年まえこの公園デザインの指導を小倉市長からたのまれたわたしは、素っ気ない平面図をかなぐりすてて、ひとりの市民の視線で未来の公園の情景を幻視し、スケッチし、それを設計担当者に示すようにしました。画面の木の間がくれにフクロウがとまっていたり、枯れ葉の舞う野原に凧が揚がっていたりします。物語を映像化する映画の監督がよくつかう絵コンテという方法がヒントでした。それは、よそ者が外から見る視線ではなく、この場所の内側で生きる視線の彫りだした情景でした。このように演劇的でリアルなデザイン手法をおもいついたのは、やはりこの御所沼に棲む古い地霊が、そこを故郷と想う私にのり移ったからにちがいありません。

 

 野中さんの視線はそのような私の思いを利用者の立場で引き継いでいるようにおもえます。

    

                                                               (2014年8月20日)

                                                                  東京工業大学名誉教授

 

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