KOGA KUBOU PARK 御所沼コモンズ
今、みんなが ふるさとを つくっています
御所沼エッセー (7)
公園をふるさと化する方法 中村 良夫
ご無沙汰しました。このホームページが古河総合公園の公式サイトにリンクされたのを機会に、またおしゃべりを続ける元気が出てきました。
公園はただの緑地ではなく、市民のコモンズ(入会地)でありたい。その続きです。では、コモンズはどのようにして、ふるさとになるのでしょうか。そもそもふるさととは何でしょう。あたりまえのようで、なかなか掴めないのが、ふるさとです。
市民のふるさとのまえに、まず家族のふるさとから始めましょう。
私の魂がこの身体に棲みついているように、家族の絆は、出来事の記憶が浸み込んだ家の構えに刻みこまれています。じっさい、日本語のイエは、家族の魂が胎蔵された家屋をも意味するわけです。イエは思い出や生き方を彫り込まれた家族の身体であり、いざという時は一族がそこへ身を委ねる小さなふるさとといえます。おなじように、市民の魂が棲みついたコモンズは市民共同体の身体であり、ふるさとと呼べます。それがすなわちふるさとの定義でもあります。
そうすると次の問題は、どのようにすれば、コモンズが市民の魂の寄る辺になるのか、その道筋を探ることです。仏つくって魂いれず、では困りますから。
ふるさとといえば「兎追ひしかの山、 小鮒釣りしかの川、・・」ではじまる高野辰之さんの唱歌はほんとによくできています。この歌が彷彿とさせる昔のふるさとの入会地から学んだ試論をおみせします。
第一は共有です。郷土の記憶を刷りこまれた山、森と水の風景、撫子やススキが揺れる野辺で共にみんなでお弁当をひろげた懐かしい郷土の面影を大事にすること。
第二は協働です。コモンズという共有の大地の上で老若男女、皆で労働し、身体を動かすこと。辰野辰之さんの尋常小学唱歌「ふるさと」では兎追ひし彼の山、小鮒釣りし彼の川です。たとえば、草刈り、里山管理、郷土野草の保護や増殖、新茶まつり、清掃、田んぼの管理運営、新茶まつりなど季節のイベントなど、つまり共同体の行事のなかで、人々の絆は身体を通じて大地へしっかり根をおろします。
第三は交換あるいは社交の喜びです。あつまって言葉をかわし合議する。市場などでモノを交換したり売買する、祝祭において盛り上がる、共に食べるなどなど。
こうした様々な出来事を市民自ら企画し実行することで、コモンズに連帯感、自治意識、共同所有感などが吹き込まれます。それがふるさとの魂です。
上の三つの条件は、難しいことではなく、どろんこクラブ、もりもりクラブ、新茶まつり、ジェラテリア応援団、トロマル市場、こいのぼりなどなど、すでに皆が経験していることです。もちろん桃まつり、産業祭なども大きな貢献ですが、さまざまな小さな行事が、家族のこころに深く刻む思い出を大事にしたいとおもいます。このようなたのしい市民活動を、さらにひろげてはどうでしょう。そのほかにも、水鳥の会、俳句の会、蛍の会、昆虫の会、凧揚げ、スケッチや写真クラブなどなど、公園のあちこちでいつしか芽をふいた市民仲間の芽はいくらでもあるはずです。とくに里山管理、沼の生き物など生態系を慈しむ市民の会がもっと育って欲しいところです。
それらすべてを管理事務所が旗振りすることは無理ですし、それでは、自治意識も共同の所有感もうまれません。水辺の生きものや草木の顔色に目の届くきめ細かい運営は、熱心な市民参加なしではとても無理でしょう。このようなメンバー性の公共が生む所有感と自治意識がふるさとづくりにつながるはずです。市民のふるさとは許可と禁止ばかりの管理主義を超えた創造的自治の精神からうまれます。
ところが行政から見ればいろいろ気掛かりなことがあります。平等性の原則、安全に関する責任などです。まず平等性ですが、公園のきめ細かな利用を行い、ふるさとづくりをリードする特定の市民グループを公平に認定したうえで特典を与えるのです。活動内容届出の簡素化、意思決定への参加、管理棟の利用の便宜、ミニ・イベントの随時開催の自由、いくらかの実費補助、会費徴収の特権などの、自由と権利をあたえるのがよいでしょう。
そして他方、このような利用の特権とひきかえに、市民団体もある程度のリスクをひきうけなければならないでしょう。自己責任で公園を使ってもらうのです。このようなルールを、公園憲章に明記し、行政と市民が権限と責任をわかちあうようにできないでしょうか。
以上のような仕組みをスムースに動かすために、行政・市民の寄り合う円卓会議や各種市民団体の活性化や触媒役をはたすプロとしてのパークマスター制度が役だつのではないかとおもいます。その人は公園緑地の国家資格をもつ専門職であるのが理想でしょう。
(2016年2月12日)
東京工業大学名誉教授