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                                                御所沼エッセー (4)

草の庭 ー虫観の思想ー  中村 良夫

 

 

      雑草と云う名の草はない、とお供をたしなめた昭和天皇のお言葉をかみしめながらおもうのですが、どうも、公園という空間はキレイにしなければならない、という脅迫観念めいた神話が蔓延しているようです。

 もちろん、紙くずなどが散乱しているのは論外ですが、公園のどこもかしこも、‘雑草’を絨毯爆撃して、大地をキレイにしておくのがいいかどうか、とくと考えて欲しいのです。

 実際、あちこちに芝草以外の「雑草」が伸び上がっていると、すぐに管理事務所に苦情がくるそうです。

 

 草むらは人知れず可憐な花を咲かせる草や、虫や蝶の隠れがになったりします。そのような小さないきものが、私たちの乾いた心に潤いをもたらすこともあるでしょう。

 いまでは、縁とおくなりましたが、昔の日本には虫聴きという行事がありました。近くの草むらで鈴虫や、カンタンをつかまえて、あるいは庭にはなして風に吹かれてたなびく声を楽しむのです。

 

 あるいはまた、涼しげな虫かごにいれて、皆でちかくの丘にのぼり、夕涼みしながら、籠の虫とあたりの草むらにひそむ虫がたがいに呼び合うのをたのしんだりしました。江戸の名所絵をみると、たとえば、いまの西日暮里駅の裏手にたちあがる見晴らしのよい武蔵野段丘の崖縁に陣取って、地平線の果てから阿弥陀様のようにたちのぼる名月を待ちながら虫ききする有名な図柄がのっています。虫聴きは一つの社交的な行事として、人と人の絆になったことも見落とせません。数年まえ、古河の公園でも虫にくわしい人をまねいて、市民が虫聴きの集いを催した事があります。

 

 もともと日本の築山庭つくりの世界で、木立とともに草本類がだいじにされたのは、あの嫋々と風になびく風情、いわゆる草体美こそが和風のお手本とされたからでしょう。このフェミニスムの美学をとぎすますなかで、草の風情を大事にしてきたのです。

 淋派の屏風絵にえがかれた装飾的な秋草の風情をおもいだしながら、わたくしは、雑草を目の敵にせずに、公園になくてはならぬ景色に育てようとおもいました。

 

 草むらにききょう、かるかや、おみなえし、・・・

 このような草むらの形をいくつかの類型に仕分けしてざっとスケッチした資料を公園のパークマスターに手渡した記憶があります。その後、どうなりましたか、なかなかそのとうりにならずにまたまた絨毯爆撃になってしまったキレイな野原をみるたびに、昭和天皇の雅びた御心をおもいだすのです。

 

 草の庭はこんな具合です。

 

・「まだら型」束状にまとめた葦を芝地のなかへ斑に配置する。

・「けもの道型」密集する葦のくさむらの中に迷路状にけもの道をつ

 ける。

・「縁取り型」道路の縁を1メートルほどきれいに刈り、その外側は

 やや粗く、さらに外側は放置してよい。それで道は充分きれいにみ

 えます。

 沿道型、野道にそって線条に植える。すすきなどがよい。

・ 「孤立型」 50cm−1m ほどの束にまとめたすすきなどを芝地に

 孤立的に植える。

・ 「7草みだれ咲き」または「郷土の草むら型」

  林の縁や水辺などに多数の草のみだれ延びる群落をそのままに放

 置する。周囲にすこし刈り込んだ空地をそえる。

 

 他にもいろいろ工夫してみてください。

 

 もちろん、カフェテラスのまわりなど人が集まる場所の芝はゴルフ場のグリーンのようにきつい手入れにします。ようするに草地管理にメリハリをきかせば、管理の手間がはぶけ、経済的になるのですが、あれこれ、外から苦情をうけたときに、場あたり的な対応をせずに、以上のような方針をたててそれを円卓会議できめておけば、説得もらくになります。

 

 さて、どういう場所にカンタンが棲み、どこにどんな鳥が巣をつくり、どの草むらからどのような鳥の鳴き声がきこえてくるのか、そしてまたひとりで白雲をあおぐのを好む御仁は、いかなる場所で孤独をたのしむのか、公園を毎朝5時から散歩するひとはそこで何をみるのか、放置すれば消えそうな野バラはどこの草影でいきづいているのか。

 このような市民の視線の成り行きは、遥かに遠く、高いところから俯瞰するしかない行政の手におえる問題ではありせん。ところが、このような小さなよろこびの積み重ねこそ公園の存在理由なのですから、それを無視して、絨毯爆撃のように、草をなぎたおしたり、営巣する鳥の楽園に踏み込んだりする乱暴は感心しません。

 それだからこそ、それらを愛する市民がみずから自分の庭のように手入れし、指図する仕組みを工夫しない限り、本物の公園はうまれてこないでしょう。鳥瞰ではなく虫観する眼にゆだねるしかないのです。

 

 さてこのような公園のありかたは、御所沼のようなサトヤマ型の自然のありようとおおいに関係が深いにちがいありません。

そのことはまた回をあらためて考えましょう。

 

 

 

                                                               (2014年12月16日)

                                                                  東京工業大学名誉教授

 

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