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                                                御所沼エッセー (6)

 

なぜ御所沼コモンズか?                

——またはメンバー制の公共——    中村 良夫

 

 

      

 ゴルフ狂いだった私の竹馬の友が通いつめた日光の会員性クラブで遊んだことがあります。

 

 紅葉したハゼの葉が、大谷川の風に吹かれてはらはらと緑の芝生に舞い降りる景色にみとれながら、彼はポツリとつぶやきました。

                           

  •  やっぱり、ここにしたいな、俺の墓は。           

                         

 わたくしは嫌な予感がして、ハッと気がつくと、      

彼の手にはいま拾い上げたゴミくずがにぎられていました。

                        

 この名門クラブにぞくする数百人のメンバーは、みんな顔みしりです。会う人ごとに笑顔であいさつを交わす彼をみて、わたくしは、ふと昔の村の入会地をおもいだしました。

                    

 入会地といえば、屋根をふくヨシやカヤを刈り、雑木林にわけいって薪きを拾う。あるいは、木の芽やキノコを求め、沼や川があれば魚を漁る、山鳥やうさぎを追うこともあったでしょう。そこは、村人たちが共同で作業し、生活の糧をえながら、人の絆を結いあげていた自主管理の共有地です。             

 この入会地という共同空間が、収税の効率化をはかる明治の地租改正で、四分五裂してしまったいきさつを詳らかにする余裕はありませんが、ここには公共という考えにかんする大事な知恵がかくされていたとおもいます。公共といえば万人に等しく開かれ、分かち合う秩序を指すのが普通ですが、この理想を運用するには、それが辿ってきた歴史の知恵がかかせません。   

                           

 英国では産業革命の進展とともに消えてゆく古建築物の保存とならんで、1860年頃、入会地(コモンズ)保存運動がおき、これらはあのナショナルトラストの源流の一つになりました。

             

 ロンドンの中心から地下鉄で20分ぐらい走ったところに空港も作れるほど広い緑地が残っています。アハムステッドヒースと呼ばれるその緑地では、亭々とそびえる老大木、洗濯場、小川など・・・・ケンウッド卿の旧所領の片隅にあった農民のコモンズ(入会地)らしいたたずまいがみられます。(「湿地転生の記」参照)   

   

 もっとも早く産業革命をへて近代化に成功した英国は、苦労のすえに近代化という劇薬にたいする免疫を手にした国でもあったのです。ハムステッドヒースはその証しです。 

                 

 美しい里山を育てた入会地は、村人の共有地ですからメンバー性の公共という考えでなりたっていました。そこでは共同の所有意識が生きていました。     

 デモクラシーの源流とされるヨーロッパ中世の自治都市もおなじです。それはまことに小さなまちでした。数千人からせいぜい2万人で、5万人もあれば大都市でした。パリのように20万を超える王都は例外中の例外といえます。いまでも5万人もあれば立派に県庁所在地になれますから。              

                          

 直径がせいぜい数百メートルか、1キロメートルほどの城壁に囲まれた小さな町。封建領主から何がしかの権利を勝ち取って自立した都市の市民は、みな顔見知りだといってよいでしょう。その小さなふるさとで、厳しい義務と権利を定める誓約書に署名して市民権をえた人々は、力をあわせてどこにも負けない美しい都市をつくろうとしました。この「市民的公共世界」とは、万人に開かれた抽象的な公共世界ではありません。メンバー性のクラブ組織のようなものです。

   

 そこには、公共といっても「私たちの」、という強い所有感があるのです。こののっぴきならない連帯感がふるさと意識の真ん中にあります。冒頭にひいたゴルフ場の例をおもいだしてください。骨をうずめる、とはこのことでしょう。              

                         

 さて、万人にひらかれた近代公園という理念は、以上のような公共空間にかんする歴史的心情をわすれて形式主義におちいったとき、まことに砂を噛むような空地になりさがりはしないでしょうか。健やかな所有感覚が禁止された一片の大地は、『わたくし』のからだの暖かさを感じられない、冷たい平等主義と蒼白の無人称空間がのびているだけです。

         

 だれにでも平等に開かれた公共空間という美辞麗句にかくれた欺瞞に気ずかねばなりません。もちろん、近代法のもとに設立された都市公園は、一般市民に解放されるべきです。しかし、その中核には公園をふるさと化する先兵としてのボランテイアが不可欠です。この2階建がいいでしょう。公園を血肉化するボランテイア市民と法を司る行政の共同運営による円卓会議、そしてそれを束ねるパークマスターをわたくしが提案した理由はまさにここにあります。このようにしてあたらしい市民のふるさと御所沼コモンズをつくらねばなりません。

 

 ゴルフ好きの友人は、数年後、まるで寝返りでもうつようにあっけなく逝きました。脳腫瘍でした。彼の魂はあの紅葉のうつくしいグリーンへ還ったにちがいありません。

 

ふるさととはそれです。

魂がかえるところです。

公園もまたそうありたいものです。

     

 さて、それではふるさと化はどのようにして可能となるでしょう。次にそれをかんがえてみたいとおもいます。  

 

 

                                                                 (2015年7月7日)

                                                                  東京工業大学名誉教授

 

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